新商品や新素材でもよいものはとり入れて仕様変更します。
少し前、"スロー"という言葉が注目を浴びてさかんに使われていました。現代は、全ての人が社会変革のスピードについて
いくのがやっとで、生活に疲れ経済生活と精神のバランスが崩れがちになりやすいといわれています。
そうはいっても、今の快適な環境からは安々と離れることはできません。
車でいうと、キーレスがついていない車は不便だと思え、間歇ワイパーもあれば便利です。パワーウィンドウーなどは常識です。
以前は付加価値的なもので贅沢と思われたものが、今ではそれがないと何か質の落ちた車のように思えてしまうように、人の感覚というか慣れはおそろしいものです。
住宅でも同じように、より快適で便利でデザイン性も高いということがこれからも求められるということは間違いありません。
他方そうではなく、懐古主義にひたって昔のほうがいいといってもなかなかそうはいきません。
環境問題などでも考えていくと、いきつくところ本当の意味での昔の生活に戻らねばならなくなりま す。例えば、水質汚濁は水洗トイレが元凶だといわれていますが、いまさらほとんどの人は汲み取りに戻れません。社会のシステムが公共下水を利用するように なっているからです。懐古趣味にひたって民家が好きでも、「トイレは水洗でないと不潔だ」という人は昔の住宅(民家など)などに住む資格がないといったら いいすぎでしょうか。
火力発電、原子力発電が環境に良くないと言っても電気のない生活は考えられません。
泥壁にしようにも、昔と同じ泥はありません。竹を編める職人もほとんどいません。工期に2年もかけれません。家の中に蚊が飛び交うのは、耐えられません。隙間風があって、極端に寒い家には住みたくありません。
そういうもろもろの結果が良きにつけ悪しにつけ、今の住宅の流れとなっているのです。
一部のマニアックなこだわりや店舗などの極端なデザインが商業的に要求されるものを除き、便利で快適な新商品でよいものは取り入れ、家造り自体進化していくのは時代の流れだともいえます。
プロダクト(工業生産品)はすべてこの流れにあるといえます。それでよいものがより安くできるとなれば、やはりそれを
利用すべきではないかと考えます。
ただ、何でも新商品・新技術がいいというのも早計です。
オール電化は安全でクリーンで経済的といわれますが、人体への影響もはっきりしていないし、何よりすべて電気に依存する
ことになるということが何かひっかかってしまうこともあると思います。火を見たら何とはなしに落ち着きますが、それは
人類の長い歴史の中で我々の遺伝子の中に組み込まれているからだともいわれています。電化もいいけど暖炉にもしたいし、
ガスや灯油も使いたいのです。
選択肢がたくさんあるというのはよいことで、機能性、合理性だけでなく感性ということも大切にしていきたいと思います。